和白東の歴史
 
 

【和白東の歴史】

本校区は、昭和51年4月に和白小学校より分かれ、開校されて28年目を迎えました。
昭和53年は、世帯数2,678戸、人口7,891人、現在は、それぞれ4836戸、13,475人と、
誠にその発展ぶりは目を見張るものがあります。

 
 
「和白東」の名称の由来   
 小学校の校名をどうするかについて、色々な意見が続出し、「高美台」と「和白東」に意見が分かれたが、最 終的には、知名度が高く、歴史のある「和白」の地名を生かし、その東に位置するという意味で「東」を加え、「和白東小学校」名が誕生これに伴い校区各種団体機関の名称も逐次「和白東」となり小学校開校により自治連合会として活動が始まる。
 

「高美台」の名称の由来

 この地域は「大字上和白字高見」であったので、この「高見」をとって「見」を「美」に変えて高美台となった。
「高美台の宅地造成」について
 昭和34年〜49年にかけて(地権者60名)買収が行われた。
 昭和38年ごろ世帯数:657 人口:1,158名
 昭和48年高美台団地第一次計画建設〜62年第6次計画建設
みょうかくじ
明覚寺(みょうかくじ)
 
「昭和54年頃の町名」
 上和白1区、東和白2区(後に東和白2区と3区に分かれる)
 下和白2区(和白台)福工大学寮、高美台1丁目1区、2区
  2丁目1区、2区、3丁目1区、2区、4丁目1区、
 古賀堀(12町)
「昭和59年2月町名と住居表示の変更」
 上和白1区(和白東1−1と和白東2丁目に分かれる)
 古賀掘(和白東1−2)エメラルド(和白東1−3)
 和白台(和白東3−1)福工大寮(和白東3−2)
 東和白2区(和白東4丁目)東和白3区(和白東5丁目)
               
「昭和52年和白東自治連合会を設立」
 和白自治連合会から分かれ、和白東自治連合会を設立
 当初は12町内会〜現在は19町内
 
               
「大神神社の由来」      

  西暦649年7月に日本は大変な時期に直面していました。その頃日本の属領的な立場にあった朝鮮半島南部にある「任那」が唐と新羅に圧迫され、滅亡の危機にひんしていました。そのため日本は和白に根拠地を置いていた「三輪氏」を朝鮮に出兵、故郷大和(奈良県)の三輪山麓に大神神社を繁り、日本最古の豪族を誇っていた

おおみわ神社
大神(おおみわ)
神社

三輪一族は、和白に2年か3年滞在するうちに故郷によく似た立花山麓一帯の鳳買に故郷をしのびまた当時は 分霊を票るという習慣などもあって、ここ和白の高見山山麓に大神神社を分設し、武運長久を祈ったのでした。これが高美台の大神神社の起こりと考えられます。また、字は「大神」ですが、これを「おおみわ」と読ませています。

 
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